2010年06月06日 (日) | 編集 |
東北大学医学部・病院の裏手、北八番町から北山にかけては、江戸時代から続く寺院が多い一帯です。
コチラの方面は、以前から探検してみたいと思っているんですが、なかなかうまいこと実現しません(^_^.)
少し前になりますが、半子町(子平町)の藤を見に行った(以前の記事)際に立ち寄った、お寺さんの記事の蔵出しです。
このお寺さんは、他のお寺よりももっと伊達家との繋がりが深いお寺のようです。
伊達氏初代、朝宗の菩提寺で、位牌が祀られているそうです。
山門前の石碑は、注意書きが彫りこんであります。 禅宗のお寺には多いそうですが、「不許薫酒入山門」とあります。
「葷酒(くんしゅ)山門に入るを許さず」と読んで、葷(臭気をもつ野菜類=精がつく)を食べたり、酒を飲んだりした人は寺に入るな、ということだそうです。
山門の内側は修行の場だから、その妨げになるということだそうで。
あの、ワタシ、入ってもよろしいでしょうか・・・(笑)
満勝寺は、鎌倉期の弘安六年に伊達氏四世政依により、現在の福島県桑折町に開創されたそうです。
伊達氏はもともと、陸奥国伊達郡(現在の福島県)の領主だったんですよね。
江戸時代になって、伊達政宗(十七世)が仙台城築城後の元和三年(1617年)に北山に小庵を建立し、満勝庵と称しました。
その後、寛文七年(1667年)、伊達綱村(二十世)によって現在の地を賜って、移転したのだそうです。
重厚な木造の本堂。ワタシ以外に、人の気配も無く、荘厳と佇んでいます。
こんなときは、ワタシもナニゲに息をひそめちゃうのです(笑)
コチラの方面は、以前から探検してみたいと思っているんですが、なかなかうまいこと実現しません(^_^.)
少し前になりますが、半子町(子平町)の藤を見に行った(以前の記事)際に立ち寄った、お寺さんの記事の蔵出しです。
禅宗の一派、臨済宗のお寺です。お寺のHPはコチラ。

このお寺さんは、他のお寺よりももっと伊達家との繋がりが深いお寺のようです。
伊達氏初代、朝宗の菩提寺で、位牌が祀られているそうです。
山門前の石碑は、注意書きが彫りこんであります。 禅宗のお寺には多いそうですが、「不許薫酒入山門」とあります。
「葷酒(くんしゅ)山門に入るを許さず」と読んで、葷(臭気をもつ野菜類=精がつく)を食べたり、酒を飲んだりした人は寺に入るな、ということだそうです。
山門の内側は修行の場だから、その妨げになるということだそうで。
あの、ワタシ、入ってもよろしいでしょうか・・・(笑)

満勝寺は、鎌倉期の弘安六年に伊達氏四世政依により、現在の福島県桑折町に開創されたそうです。
伊達氏はもともと、陸奥国伊達郡(現在の福島県)の領主だったんですよね。
見事な松が立ち並ぶ参道。木々の緑がいちばん映える季節です。

江戸時代になって、伊達政宗(十七世)が仙台城築城後の元和三年(1617年)に北山に小庵を建立し、満勝庵と称しました。
その後、寛文七年(1667年)、伊達綱村(二十世)によって現在の地を賜って、移転したのだそうです。
本堂の前に、これまた立派な松の木が立っていました。

重厚な木造の本堂。ワタシ以外に、人の気配も無く、荘厳と佇んでいます。
こんなときは、ワタシもナニゲに息をひそめちゃうのです(笑)
本堂軒下の扁額には『無畏』とあります。武家の首領を祀ったお寺らしい言葉です。
本堂の脇には、清々とした建築の庫裏がありました。
當午山 満勝寺(臨済宗)
仙台ブログランキングに参加しています。ポチッと一票お願いします。。
- 関連記事
-
- 法龍山 佛眼寺(若林区荒町) (2010/06/13)
- 當午山 満勝寺(青葉区柏木) (2010/06/06)
- 微笑山 江巌寺(青葉区柏木) (2010/06/05)
スポンサーサイト
| ホーム |