2011年10月17日 (月) | 編集 |

我が家からまっすぐ山形方向へ続く国道48号線旧道の八幡町辺り。
ここからまっすぐ行くと愛子とか山形の方へ行けます。
左へ曲がると三居沢。このブログの記事はそこから始まりました。
道路に面した右側には、堂々としておごそかな朱色の大鳥居が建っています。。
大崎八幡宮(公式HPはコチラ)
大崎八幡宮の長~い歴史を由緒書きからダイジェストにまとめてみます。
平安の昔、東夷征伐に際して坂上田村麻呂は、武門の守護神である宇佐八幡宮を現在の岩手県水沢市に勧請、鎮守府八幡宮を創建しました。
その後、室町時代に奥州管領大崎氏が、これを自領内の現遠田郡田尻町に移して篤く崇敬し、大崎八幡宮と称しました。
大崎氏が滅亡した後は伊達氏が居城の玉造郡岩出山城内の小祠に御神体を遷し、仙台開府後に伊達正宗により仙台城の乾(北西)の方角にあたる現在の地に移され、今の八幡宮が創建されました。
藩政時代を通じ歴代藩主の篤い尊崇を受け、明治以降は大崎八幡神社と称していましたが、平成九年六月、社名を大崎八幡宮に戻し、現在に至っています。
公式HPから拝借した境内の地図
大石段を上って三之鳥居からは、しばし長い表参道を歩く事になります。
表参道と平行に、流鏑馬(やぶさめ)の奉納が行われる馬場が有ります。
国道に面した、上の写真の朱塗りの鳥居は『一之鳥居』。
大石段を上って三之鳥居からは、しばし長い表参道を歩く事になります。
表参道と平行に、流鏑馬(やぶさめ)の奉納が行われる馬場が有ります。
国道に面した、上の写真の朱塗りの鳥居は『一之鳥居』。

大崎八幡宮には鳥居が3つ有ります。コチラは御影石造りの二之鳥居。県の重要文化財。
もともとはコレが一之鳥居だったのが、昭和63年に一之鳥居が建てられて格下げ(?)されました。

大石段。
「98段とも100段とも言われる」と書いて有りますが、なんで数がハッキリしないのかね

他の神社に比べ、さほど多い段数では無いと思います。
が、毎年1月14日に行われる「どんと祭」の際には、裸参り参加者が寒さに震える

ワタシは若い頃に2回ほど、裸で提灯とハンドベル(違)を持ってココへ参りました。(遠い目

三之鳥居。暴れん坊将軍の享保時代に、伊達吉村公が寄進したものだそうです。
扁額の「八幡宮」は吉村公の書いたものだそうです。アーティスティックな藩主だったのですなぁ
扁額の「八幡宮」は吉村公の書いたものだそうです。アーティスティックな藩主だったのですなぁ


裸参りで2度ほど来た事が有りますが、夜だし、裸で震えて涙で目がウルウルしてました

社殿前にある長床。国の重要文化財。
社殿とは対照的に簡素な素木造りで、ゴージャスな社殿を引き立たせるよう配置されたようです。
社殿とは対照的に簡素な素木造りで、ゴージャスな社殿を引き立たせるよう配置されたようです。

長床をくぐって行きますと真正面には社殿がありますが、左手に有名人の絵馬なんかを飾っている所が有りました。
テレビでよく見るプロスポーツチーム

社殿
安土桃山時代の文化を今に伝える重要な建造物として、昭和二十七年に国宝に指定されました。
安土桃山時代の文化を今に伝える重要な建造物として、昭和二十七年に国宝に指定されました。
入母屋造りの本殿と拝殿とを相の間で繋いだ、石の間造りの様式で建てられているそうです。
ですがここからは本殿の様子は見えません。
ですがここからは本殿の様子は見えません。

豪華絢爛かつ重厚な感じの拝殿。
ゴージャスな屋根と対照的に、下部は総黒漆塗りで落ち着いた風格。。

拝殿の軒下には花鳥動植物や説話風の人物など多彩な彫刻が組み込まれていて、内部にも豪華な壁画などを見る事が出来ます。

国宝 大崎八幡宮(地図)
仙台ブログランキングに参加しています。ポチッと一票お願いします。。
いつもどうもありがとうございます!!
FC2ランキングの方もどうぞ投票お願いします♪
- 関連記事
-
- 松風山 金勝寺(宮城野区榴岡) (2011/10/20)
- 国宝 大崎八幡宮 (2011/10/17)
- 曹洞宗 東秀院(若林区新寺) (2011/09/08)
スポンサーサイト
| ホーム |